元バッキンガム宮殿シェフは、なぜ群馬でパブを開くのか

「イギリス料理は、美味しくない。」そんなイメージを覆してくれる英国パブが、群馬県にある。

イギリス出身・バッキンガム宮殿の厨房で修行を積んだ吉田・ムーア・アーサーさんが、妻・美穂さんと営む「英酒屋」が、その正体だ。“本気の”イギリス料理と称し、手作りのソーセージやフィッシュ&チップスを提供する。アーサーさんの料理の哲学から、バッキンガム宮殿厨房の裏話までお伝えする。

イギリス本場の味が群馬で?

ーーまずは英酒屋がどんなお店か、教えてください。

アーサー:私が“本気の”イギリス料理を提供する、ブリティッシュパブです。2017年の12月に始めました。群馬県の前橋市にあるよ。

ーー“本気の”フィッシュ&チップス、超おいしかったです!おいしさの秘密は?

アーサー:その日に売っていた、一番新鮮な魚を使うよ。使う魚も、毎週変えてます。揚げる時の秘密は、衣にビールを入れていること。そうすると、サクサクに揚がるんだよ。

“本気の”フィッシュ&チップス。イギリス料理へのイメージが変わりますよ!

ソーセージとハムも手作りしてます。日本のものはアメリカ仕様だから、本場の味を再現するためには、自分で作るしかないの(めんどくさいから、本当は作りたくないらしいです😇)。

美穂:英酒屋の料理は基本的に、イギリスの味を再現してるんだよね。「日本人好みの味付けにした方が、良いんじゃない?」と、私から言ったこともあったんだけど。

アーサーは、「日本の味ならどこでも食べられるけど、イギリスの味は英酒屋でしか味わえないから」と。そんな背景もあって、英酒屋は本場の味にこだわって料理を作っています。

ーー食材はどうやって調達するんですか?

アーサー:イギリス料理には欠かせない現地の酢があって、それはイギリスから取り寄せている。あとは、ソーセージとハムを作る用の塩。でもそれ以外は、特別な食材はないんだよ。野菜や卵は、群馬の農家から新鮮なものを仕入れるのが一番だしね。

ーー料理の一番のこだわりは、なんですか?

アーサー:食材を起点に、料理することかな。レシピを決めてから必要な食材を買いに行くのではなくて、「今日は新鮮なカレイが売っていたから、この料理を作ろう」と決める。新しいレシピを自分で考案することも、あまり無いかな。食材の本来の美味しさが一番生きる方法で、料理すること。それが一番のこだわりです。

バッキンガム宮殿の厨房事情

ーーバッキンガム宮殿のシェフ時代のお話も気になるんですが…。まずシェフになった過程を教えてください。

アーサー:正直、全然シェフを目指していた訳じゃなくて。ロンドンで大学を卒業したけど、特にやりたいこともなく、レストランでアルバイトしてたの。皿洗いから始めたよ。

でも段々と厨房に立たせてもらえるようになって、そこで良い先輩シェフにも出会えた。その人から、料理の基礎や味のセンスを教えてもらったんだ。

ーーでは、料理学校などで勉強したわけじゃないんですね。

アーサー:ないよ。仕事をしながら、自然と学んでいった感じかな。

そんな風にレストランやホテルを転々としていた時に、バッキンガム宮殿でシェフを募集していることを、就職のエージェントから教えてもらって。これは良い経験になると思って、応募してみたの。面接2回と、料理の実技試験1回を経て、合格。今から8年前、33歳の頃かな。

ーー宮殿内に住めるんですか…?

アーサー:住み込みの人もいたよ。でも僕はロンドンに住んでいて、そんなに遠くないから通っていた。シェフは全部で30人弱。朝昼晩の全部の料理を作るんだ。料理のランクは、3種類。女王用と、位の高い人用10人分と、その他スタッフ用200人分。

女王の献立は、事前にメニューの選択肢を渡しておいて、2週間分選んでもらうんだよ。

ーーエリザベス女王は、好き嫌いとかあるんですか?

アーサー:野菜は固いとNGで、よく火を通してたな(笑)。でも宮殿で30年以上働いているシェフ長がいて、彼が女王の好みを熟知しているんだよ。だから、そもそも女王の食べ物の好みは、全てメニューに反映されているんだ。

ーーロイヤルファミリーに出くわすこともあるんですか?

アーサー:あるよ、宴会の時とかね。宮殿の中で厨房は地下にあって、宴会会場は3階だったんだよね。もちろん料理はほとんど地下の厨房で作るんだけど、3階まで運ぶ時に盛り付けが崩れちゃうじゃない?だから最後の仕上げだけ、3階でするの。

その時に、本来はロイヤルファミリーしか使えない、秘密の通路を使えるんだ(笑)。そのタイミングで、出くわすことは何回かあったね。

代表的なイギリス料理、スコッチエッグ。でも女王様の食事は、大体フランス料理だそうです。

美穂:辞めた理由も面白いから、聞いてあげて(笑)。

アーサー:実はこの話、イギリスの歴史的な事件に関連しているんだ(笑)。ダイアナ妃の時代まで遡るんだけど、ある記者が王室の電話を盗聴していた事件があって。もちろんその記者は、逮捕されたのね。でも自分が個人的に盗聴していただけで、組織ぐるみではないと供述してた。

僕が宮殿で働いていたのは、その10年後。ある朝、全員分の朝食を作り終えて、シェフたちみんなで朝ごはんを食べながら、ニュースを見ていたの。そしたら、Breaking Newsが飛び込んで来て。10年前の王室盗聴事件なんだけど、実はその記者だけじゃなくて、いろんな新聞社が組織ぐるみで盗聴していたことが判明。大ニュースになってたんだよね。

そして実は、10年前に逮捕されていたその記者は、僕のいとこの旦那さん(笑)。ニュースを見ながら、その話をしちゃった…。その後直接の理由は言われなかったけど、解雇されてしまって。王室のシェフの親戚に王室関連の犯罪歴があるのは、マズかったんだろうなと思う…。

「大昔だったら、クビになるだけじゃ済まなかったよ!」と苦笑いするアーサーさん。

失敗するなら、早い方が良い

ーーバッキンガム宮殿を辞めたあとは、どうしたんですか?

アーサー別の厨房で働くことにはなったけれど、相変わらずサラリーマンになる気も起きなくて、退屈だった。だから、冒険を探して日本にきたんだ。

日本では最初、ALTとして英語の先生をやっていた。働く場所はランダムに決まるんだけど、僕は栃木県だったんだよね。そこで美穂に出会ったんだ。

美穂:学校って結構、トップダウンの組織じゃない?それがアーサーの肌には合わなかったみたいで、教育委員会とよく喧嘩してたのを覚えてる(笑)。

英会話もやっています。自由にディスカッションをしながら、自然な英語が学べると評判!

ーー英語の先生の仕事自体は、好きでしたか?

アーサー:いや、あんまり…(笑)。でももちろん、楽しいこともあったよ。先生とシェフの仕事、似ている部分もあると思っていて。

先生の仕事って、英語を習得するための最善の方法を考えることでしょ?シェフの仕事も、食材を一番美味しく調理する方法を考えること。その過程は多分、同じなんだよね。

その方法を考えるのは楽しいし、その点においては自分は天才だと思ってる(笑)!でも先生をしていた頃は、自分が必要ないと思う英語表現を、全然面白くない方法で教えないといけない時もあって、それは嫌だったね。

ーー群馬でお店を開いたきっかけは?

美穂:群馬県という理由はシンプルに、私の実家が前橋市にあるからなんだよね。

お店に関しては、アーサーの中で「パブを開きたい」という思いがずっとあって。でも「いつかやりたいなあ」と言うだけで、なかなか踏み出せずにいたの。それで私が「どうせやるなら、早いうちにしない?」と切り込んだ(笑)。

成功するかは分からないけど、60歳になって挑戦、失敗するのは、すごく疲れちゃう。でも早めに失敗する分には、人生まだまだ立て直せるじゃない。死ぬわけじゃないし(笑)。そう2人で話して、アーサーは任期満了を待たずにALTを退職。一昨年にこのお店を始めました。

アーサーさんの不思議な日本語も、お店の売り。本人曰く「ちょっと上手くなっちゃってごめんなさい」

ーーかっこいい!じゃあ美穂さんが「やろう」って言わなかったら…?

アーサー:今も始められてなかったかも。でも最初は全く自信がなかったよ。厨房は経験していたけど、接客も経営も未経験。料理だけは自信があったけど。

美穂:まあ経営は、今も分からないことだらけよね。

ーー英酒屋を始めてみて、どうですか?

アーサー:お店のことは、とにかく大好き。もう他の仕事に戻れないよ。「今日の料理は何にしよう」とか「誰が来てくれるかな」とか「どんな食材が手に入るかな」とか、同じ日が1日もない。それが本当に楽しいんだ。8割以上のお客さんが、常連さんになってくれているしね。

常連さんのワンチャン会などのイベントも、やっているそうです。犬はいつでも連れてきてOK!

美穂:お客さんには本当に恵まれているね。私たち2人のことを大好きな人たちが、遊びに来てくれている感覚(笑)。

アーサー:本当にそうだよね。それでいうと実は今、物件を探している所で。お店と自分たちの住居を、一緒にしたいと思っているんだ。

English Pubの言葉の由来はPublic house。みんなの家っていうイメージかな。英酒屋も「僕たちの家に遊びに来てもらう」感覚を、もっと大事にしたくて。

常連さんのことも、家族だと思っている。休みの日も一緒に飲みに行っちゃうくらい(笑)。だから自分たちも住めるお店の場所を探して、そこをお客さんにとっても最高に居心地の良い場所にしていきたい。それが今の目標かな。

略歴:英酒屋店主。イングランド出身。レストランやホテルの厨房で働いた後、バッキンガム宮殿のシェフに。退職後に来日、英語教師の職を経て、群馬県前橋市に英国パブ・英酒屋を開く。「群馬は風が嫌だけど、静かで良いね」とのこと。

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