いつ死んでもおかしくない。お笑いをやっちゃおう

「一般人が演じるお笑いライブ」

こう聞いて、頭に「?」をたくさん抱えながら足を運んだライブ。そこで目の当たりにしたのは、キレキレの喋りと身振りで演じる出演者の姿と、爆笑の渦に包まれている会場だった。

 このライブを企画し、ネタの執筆や演技の指導をしたのは、吉本興業(以下吉本)に所属するお笑い芸人、中川稔朗さん(37)。30代でお笑いの道を選んだ中川さんを、突き動かすものは何なのか。

 養成所での生活や収入を得る仕組みなど、お笑い業界のリアルとともに、我が道を進む中川さんの挑戦をお届けする。

ライブのギャラは数百円?

ーーまずはお笑い芸人としてどんな日々を過ごしているのか、教えてください。

 僕は吉本に所属していて、今年で5年目に入りました。4年ほどコンビを組んでいた相方とは解散してしまい、今は新しい相方と絶賛ネタ合わせ中。個人としては「中川定食」という芸名で活動しています。具体的な取り組みとしては、お笑いライブへの出演や、YouTubeでの動画配信など。

 正直言って、芸人としての収入は微々たるもの。若手芸人の場合、主な収入源はライブでの収益なんですが、ギャラはライブ1本数百円レベルです。

 吉本の主催するライブに出演する場合は、自分たちで売るチケットのノルマがあり、ギャラはほぼ0に近いです。もちろんそれだけでは生活はできないため、吉本の社員食堂でアルバイトをしています。

ーー厳しい世界ですね…。ライブにはどうやったら出演できるんですか?

 吉本主催の場合は、吉本が全て割り振ります。ライブ自体はほぼ毎日行われていて、僕の場合は月に3本は出演できることになっています。

 少し知名度が上がり、常設の劇場ではなく、ショッピングモールや地方の公民館などのライブに呼ばれるようになると、多少稼げるようになってくる。

 そして深夜テレビに出られるようになってくれば、お笑い一本で食べていける道筋が見えてくる…といったイメージですね。

ーーギャラのかなりの割合を、吉本が持っていくという話も聞きますが…。それでもなぜ吉本に所属するんでしょうか?

 吉本にかなりのギャラを持っていかれる話は、本当です(笑)。ですが、良い芸人仲間、先輩に出会えることが、やはり一番ありがたいですね。今も先輩の芸人さんが所有する配信スタジオを無料で貸してもらえ、撮影ができるのですごく助かっています。出演の機会が確実に得られるのも、もちろん大きなメリットです。

婚活パーティーならぬ「相方探しの会」

ーー素朴な疑問なんですが、どうしたら芸人になれるんですか?

 フリーの芸人もいるので、名乗りさえすれば誰でも芸人になれます(笑)。ですが、吉本のような事務所の養成所から始めるのが一般的ですね。僕も40万円を支払い、1年間養成所に通いましたよ。

 養成所はその名の通り、芸人を育てる学校。きちんと卒業できれば、吉本に所属できるという仕組みです。養成所でやることは、ネタを作っては、作家さん(ネタ作りのプロ)に見せる、その繰り返しです。「NON STYLEが演じると想定して、ネタを書いてみよう」といった授業もありましたね。英語のネタも作ったなあ。

ーー相方は養成所で探すんですか?

 半分以上の人は養成所で相方を探します。僕も入った目的の一つは、相方探しでした。

 入学してすぐに、婚活パーティーならぬ「相方探しの会」が主催されるんですよ。飲み会的な感じで100人ほど集まって、相方のマッチングをするんです。「自分はネタは書きたい」「ツッコミをやりたい」など、お互いアピールし合います。

 僕もそこで元・相方を見つけました。僕は外見にあまり特徴がないので、見た目が目立つ人と組みたいと思っていたんです。そこで歩み寄ったのが、体重160キロの巨漢(笑)。

 ですが、太っている人と組みたい人は多い。もちろん彼も、複数の人からアプローチを受けていました。行けるかな…?と不安に思っていましたが、先を見越して入学式当日に連絡先を交換していたのが、功を奏しました。僕からのアプローチは見事成就し、めでたく彼とコンビを組めたのです。

芸人さんっぽいポーズをしてくれた中川さん。

ーーカップル…ではなくコンビ成立ですね!ネタは中川さんが考えるんですか?

 そうです。ネタ作りのスタイルは千差万別ですが、僕の場合はネタ探しのアンテナを常に張っておいて、思いついた言葉や展開をメモしておく。そのメモをつなぎ合わせて、ネタを一気に書き上げていきます。もちろん最後は相方とのネタ合わせで、細かい調整をします。

 たまに天才的に、ゼロからネタを生み出せる人がいますが、僕はそのタイプではありません。なので、とにかくインプット。吉本のライブは無料で見学できるので、できるだけいろんな人のネタを観るようにしています。

一般人に笑いが取れるのか

ーー2月には、中川さんが書いたネタを、行きつけのバーの常連さんが演じるという企画を開きましたね。この企画について、もう少し教えてください。

 この企画は、クラウドファンディングサイト「SILKHAT」を使って、何かやってみよう!という意気込みから始まりました。クラウドファンディングとは、「こんなモノを作りたい/こんな面白いことをしたい」というアイデアを持つ起案者が、共感してくれる人から資金を募る方法です。

 SILKHATはそんなクラウドファンディングサイトの一つ。吉本がプロデュースしており、発起人はキングコングの西野亮廣さんです。2018年の10月から始まった、まだ新しいサービスです。

SILKHATの公式バナーに中川さんの姿が!

 SILKHATの誕生で変わったことは、芸人が自分で仕事を取りに行けるようになったこと。先ほどもお話しした通り、今まで吉本に所属する芸人は、「吉本から仕事を振ってもらえるのを待つ」というスタンスだったんです。

 でも吉本に所属する芸人は、6000人以上。必然的に「仕事が足りない」「お金が稼げない」という問題が出てきます。

 だったら仕事自体を生み出せるプラットフォームを作って、芸人自ら稼げるようにしよう、というのがSILKHATの発想です。手数料は吉本にも入るので、その収益がさらに芸人に分配されていくという仕組みです。

ーー素敵な発想ですね。一般人が演じるという企画には、どんな意図があったのですか?

 正直この企画自体は、ライブの会場にさせてもらった港区大門のバー「変幻自在」の存在も大きいんです。(変幻自在の店主、湯川史樹さんのインタビューは、バックナンバーをご覧ください!)

 変幻自在はお酒が飲めるだけでなく、演劇や音楽ライブも開催するユニークなバーなんです。そこでSILKHATで人を集めて、変幻自在で初のお笑いライブをやろう!と意気込んでいたのですが、当時の相方と解散することがちょうどその頃決まって。

 そこで一般の人に出演してもらう方向に舵を切りました。店主の助けを借りながらお店の常連さんに呼びかけ、僕のネタを演じてくれる6人・3組を集めたのです。

この企画では、ネタを教える、演技の指導をするといったプロセスも動画で撮影し、本番でお客さんにみてもらいました。この過程も一緒に面白がってもらうことで、お笑いの裾野を広げたいと思ったんです。

 また、お客さん側からしたら「自分の友人が人前で笑いを取っている」という光景自体が、新鮮で面白かったんじゃないかと。笑ってくれるお客さんをみて、密かにそんな手応えを感じていました。

 ーーお笑いの指導って具体的にどんなことを教えるんですか?

 立ち位置や目線など、”お笑いっぽく”見えるように指導しました。お笑いには、ツッコミはお客さんに体を向けた方が良い、といった型があるんです。ですがお伝えしながら、「これ、自分もできてなかったかも…」と思うこともしばしば。

「演者側」から「演出側」に回る体験をしたことで、客観的に自分のネタを見られたことも、本当に勉強になりましたね。

バー「変幻自在」での、お笑いライブの様子。

いつ死んでもおかしくない

ーー吉本に入ったのは30代とのことですが、芸人になるまではどんなことをしていたんですか?

一言では言えないくらい、いろんなことをしていました(笑)。時系列で言うと、パン屋の配達担当、劇団員、看板屋、バーテンダーを経て、お笑いの道を選びました。

高校生で演劇部に所属していて、演じることがすごく好きだったんです。大学に入って演劇を続けたかったんですが、親に資格が取れる学校に行きなさいと説得され、何となく興味があった調理師学校に。

 無事に卒業した後は、銀座のパン屋に就職。パン屋を選んだのは、映画の「魔女の宅急便」に憧れていたという、ふんわりした理由でした(笑)。

 でも最初のうちは配達しかさせてもらえなくて。慣れない運転で一方通行の道路に侵入して怒られながら、高級レストランやホテルにパンを届ける日々。案の定半年もしないうちに辞めてしまいました。

その時は「やっぱり演劇をやりたい」という気持ちばかりで、雑誌か何かの「劇団員募集」の求人を見つけて、応募したんです。そこで豊島区の2、3人で活動する小さな劇団に入りました。そこから10年以上、フリーターをしながら劇団を転々とし、演劇生活を送っていました。

ーー10年!演劇の魅力はどんなところですか?

 台本からその人を解釈して、役に入り込む。その過程は好きですね。でも結局は、目立ちたがり屋なだけなのかもしれません(笑)。人前に出て自分の演技を見てもらうのが、純粋に楽しいんです。

 でも演劇をやっているうちに、段々とお笑いに気持ちが傾倒してきたことに、自分でも気づきました。「ラーメンズ」という芸人さんをご存知ですか?演劇とお笑いを組み合わせたネタをするコンビで、1つのネタが2時間あるような芸風なんです。それを観て感動してしまって。

ですが当時はまだ踏み切れず。プロの劇団に所属していた時期もあったのですが、結婚を機に辞めることになりました。そして、何と普通の会社員になったんです!25歳を過ぎた頃ですね。奥さんの実家がある茨城県で、看板屋さんに就職しました。その名の通り、飲食店や会社の看板を作る会社です。

仕事をしながら地元の劇団には関わっていました。そしてその関係で行き始めたバーで、2号店を出すから店長をやらないかと誘ってもらえて。看板屋さんの雲行きが少し怪しかったこともあり、やらせてもらうことにしました。

 本当に人生いろんなご縁ですよね。そして資格も取得し、晴れてバーテンダーに。その頃が28歳くらいですね。

 ーー本当に様々な職に就いていたんですね!バーテンダーの資格ってどんな勉強するんですか?

僕が取ったのは一番初歩的なものなので、筆記試験だけでした。カクテルの歴史や、アルコール度数の計算の問題を勉強しましたね。バーテンダーの仕事はすごく楽しかったです。やっぱり自分と気の合う人たちが集まってくれる。お酒の知識云々よりは、お客さんとの毎日のやり取りが好きでしたね。

 ですが結果的にバーテンダーを辞めて、お笑い芸人を目指すことになりました。それには大きなきっかけが二つあって。一つ目は、離婚。バーテンダーをやっているうちに気持ちがすれ違ってしまい、お互い納得の上で別れました。

 二つ目一は番仲の良かった演劇仲間が、突然病気で亡くなってしまったこと。同い年でよくお店にも来てくれていた、気の許せる友人だった分、本当にショックでした。

 それと同時に「自分もいつ死んでもおかしくない」という強烈な気持ちが芽生えました。だったら「ずっとやりたかったお笑いをやってみよう!やっちゃえ!」と気持ちに踏ん切りがつき、東京に戻って吉本の門を叩いたというわけです

中川さんが、お笑い仲間と企画したライブのバナー。Youtubeチャンネルもぜひチェックを!

人生で今が一番楽しい

ーー中川さんは今のお笑い業界を、どう見ているんですか?

 数年前はテレビのネタ番組の数もかなり減って、下火になっているなと感じた時期もありました。ですが、最近はまた持ち直しているように思います。YouTubeやSHOWROOMで活動する芸人も出てきて、SILKHATのような仕組みもできたし、活動できる幅は広がっていると感じます。

  一方でYouTuberなど芸人以外の人が、面白いコンテンツを配信している。エンタメの選択肢が増えている分、芸人も売れる手を必死で探していかないといけません。

ーーなるほど。最後に中川さんの今後の意気込みを教えてください。

 直近の目標はまずはテレビ。今の生活は楽ではありませんが、ずっとやりたかったことができている。正直、人生で今が一番充実していて、本当に楽しいんです。辞める気も全くありません。これからもたくさんの人を笑わせたいし、自分が挑戦し続ける姿も見ていていただけたらと思います。

略歴:吉本興業に所属するお笑い芸人。個人としての芸名は「中川定食」。パン屋、劇団員、看板屋、バーテンダーを経て、現在は芸人と吉本食堂でのアルバイトの二本柱で活動する。調理師免許とバーテンダー資格を保有。趣味はミニ四駆の改造やレースに参加すること。

YouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/channel/UCbsNtlbJmQEhtzgtmIWgXlQ

Twitter;https://twitter.com/nakagawa_1112