唯一無二の和菓子は、こう生まれる。異色の和菓子職人に学ぶ“センス”の磨き方
ディルのお餅、ルバーブどら焼き、ブルーベリーういろう……
これまでのイメージを覆す、斬新な和菓子の数々。これらを創作するのは、東京・千駄木にある「和菓子 薫風」の店主・つくださちこさん。路地裏にひっそり佇む店内で、和菓子と日本酒のマリアージュを楽しめる、知る人ぞ知るお店です。
実はつくださん、製薬会社の研究職を経て、和菓子職人として活躍する異色の経歴の持ち主。独創的な和菓子のアイディアはどのように生まれるのか?物怖じせずに挑戦を続けられる秘訣とは?お話を聞きました。
日本酒と和菓子のマリアージュ?
―― 今日は「和菓子 薫風」で取材させていただいています。和菓子屋さんには珍しく、喫茶スペースがあるんですね。
薫風のコンセプトは、和菓子と日本酒のマリアージュ。私が創作した和菓子と、蔵元を訪ねて仕入れている日本酒をペアリングし、お店で楽しんでもらうスタイルをとっています。
持ち帰り形式にしない理由は、出来たてを食べてもらうのが、純粋に一番美味しいから。持ち帰る前提だと、日持ちさせるために、必要以上に糖分を入れたり、水分が出ないように固くしたりしないといけない。それよりも、出来たてだからこその食感や香りの面白さを、ライブ感とともに味わってほしいんです。
和菓子と日本酒を楽しみながら、その場でお客様同士が交流してくださるのも、喫茶スペースならではの楽しみですね。
レシピは公開しても問題なし
―― 薫風にはスパイスが入っている羊羹や、ディル(ハーブの一種)を使ったお餅など、他では見たことがない和菓子が並んでいますよね(私も大変美味しくいただきました)。斬新な和菓子の創作アイディアは、どのように生まれているんでしょうか?
別に「何か革新的な味を作ろう」と考えて、作り始めるわけではないんです。こだわりの農家さんから直接食材を仕入れているので、それらを最大限活かすことを考え、食材ありきで考えています。
創作のプロセスとしては、まずは目の前にある食材を、どら焼きやモナカなどの既存の和菓子に当てはめてみます。そこから、「この食材ならどら焼きより、羊羹の方が合っているかも」と、「置き換え」を繰り返していくんです。
たとえば、ディルを使ったお餅。なんでハーブとお餅を組み合わせようなんて思いつくの?と感じるかもしれませんが、最初はイチゴと黄身餡でモナカを作ろうとしたのが始まり。
でも湿っぽい時期になると、モナカはどうしてもパリパリの食感を残すのが難しい。そこで、モナカを餅に置き換えてみて、イチゴ餅を作りました。そして今度はディルが旬の季節になったので、ディルと餅を組み合わせてみたら、うまくいった。
簡単に言えば、「冷蔵庫の中に長ネギと卵がある…。じゃあ今日はチャーハンだ!」と献立を決める感覚に、似ているかも(笑)。
―― 面白い!組み合わせのセンスは、どうやって磨いてきたんでしょうか?
和菓子職人になる前、割烹やフレンチなどで修行をしていたんです。その当時の「まかない飯」を作る過程で、食材を組み合わせる腕を上げられた気がしていて。
たとえば野菜でも、一番美味しい部分はお客様に提供して、端っこの部分が残っているんですね。その余り物を使って、いかに美味しいまかない飯を作るか。あれは、良い修行になりました。
―― 組み合わせのセンスだけでなく、すごく食材を大事にして和菓子を作っていらっしゃいますよね。美味しい食材を作る農家さんとは、どのように知り合ったのでしょうか?
良いものを作っている農家は、同じようにこだわりを持つ他の農家さんのことも、よく知っているんですよ。なので素晴らしいレモンを生産する農家さんに、美味しいゴボウを作っている農家を知らないかと尋ねれば、間違いなく良い方につないでもらえます。
薫風は和菓子のレシピも、公開しています。「レシピを真似されたら困らないの?」と心配していただくんですが、一番難しいのは本当に美味しい食材を仕入れること。なので、レシピをみんなが真似できても、特に問題ないんです。
製薬会社から和菓子の道へ
―― そもそも以前は、製薬会社にお勤めだったんですよね。そこから飲食の世界へ足を踏み入れたきっかけは?
製薬会社では8年間、微生物を分析する基礎研究をしていました。製薬に使えるかもしれない成分を、微生物から抽出するんですね。すごくやりがいがあり、「ずっとこの仕事を続けていけたらいいな」と思うくらい面白かったです。
ただ時代の流れの中で、だんだんと製薬の根本が変わってきたんです。がん細胞をアタックする成分を探す、という考え方から、がん細胞に立ち向かう免疫を高める成分を探す、という風に。
その流れで業界における最先端は、私が担当していた領域から、別の領域に移り変わり、次第に会社に対する貢献度の限界を感じるように。その頃から、もっと自分の力を試してみたいという気持ちも強くなり、全く異なる飲食の道へ挑戦することにしました。
―― 未経験の飲食業界で、どのようにキャリアを積んでいったんですか?
まずは働きながら夜間学校へ通って、調理師の資格を取りました。調理師の資格が取れたら、製薬会社を退職し、知り合いの飲食店に雇ってもらい、飲食業界での挑戦をスタート。割烹料理屋からフレンチ、オーガニック料理まで、さまざまなジャンルの飲食店を経験しました。
いろんなジャンルを経験する中で、やはり自分の専門性を持ちたいと考え始めました。自分の将来像として、いつかはお店を持ちたいとも、考えていましたから。
ただスタートが遅かった分、料理人としては後発。和食やフレンチの専門となると、10代の頃から修行している人には敵わない。いろいろと模索していくうちに、料理と和菓子を両方できる人が少ないことに気づいたんです。
日本の文化を世界にもっと広げたい思いもあり、その点でも和菓子は良い切り口だと思いました。そこで割烹料理屋で働きながら、再び夜間学校に通い、今度は和菓子の技法を学んだのです。
大手チェーンで商品開発
―― すごいストイックさ…!実際にお店を出すまでには、どんな過程があったのですか?
独立したいと考えていた頃、自分でも予想できなかったご縁があって。知り合いから、大手飲食チェーン店の新商品を開発をする、メニューコンサルタントの仕事に誘っていただいたんです。
個人経営のレストランとはまた違い、大手チェーンならではの学びがあるはずだと考えて、やらせてもらうことにしました。
今までのレストランとの最大の違いは、様々な制限があること。この食材は必須で使いたい、原価は何%に抑えてほしい、アルバイトの方がすぐに作れるレシピにしてほしい…など。制限があったからこそ、工夫を凝らしてメニューを考えるのは楽しかったし、すごく勉強になりましたね。
その頃から、コンサルティングの仕事とは別で、和菓子作りも並行してやっていました。そこで素晴らしい食材を生産する農家さんとも、知り合うように。彼らの作る食材を、和菓子に加工することで付加価値をつけ、一緒に商品開発もするようになっていきました。
そうするうちに、少しずつ二足の草鞋を履きつづけるのが難しくなってきて。その頃には、自分のお店で、自分の力で、お客様の心を掴むことに挑戦したいとも感じるようになっていました。そこでコンサルタントは辞め、薫風を始めることにしたのです。
コロナには動じない
―― そんな風に開業した薫風ですが、今年は8周年なんですよね。コロナの影響で、大変な年になってしまったのでは…?
実は、コロナにはあまり動じていないんです。そもそも和菓子も日本酒も、嗜好品。元から「必要とされない」前提でお店が成り立つよう、8年間考えてきました。なので、コロナでもお店のスタンスが大きく変わることはないんです。
逆にコロナ禍では、「1日中家の中に居るから、自分へのご褒美として、せめておいしいお菓子が食べたい」と来店してくださるお客様も結構いて。むしろお客様の数は増えている気がします。
―― なるほど、面白い。お話を伺っていると、つくださんは全く物怖じせずに次々と新しい世界へ飛び込んでいる印象でした。その秘訣は何でしょうか?
敵を知り、分析をすることですね。新しいことを始めるのは、もちろん怖いこと。でもそこに飛び込まずして、目の前の「怖い」を解消することはできません。解消するには、「怖い」を細分化して、冷静に分析してみればいい。
たとえば、資金繰りが「怖い」ならば、金融公庫への相談、企業用の計画書を勉強、卸の確保などが、必要なステップだと見えてくる。それらを1個ずつやっつけていけば、常に前に進んでいけます。究極、無敵になれるんですよ。
製薬会社に勤めていた時も、和菓子を作る時も、その「分析癖」は共通しているかも。たとえば、和菓子のレシピを見て、「この2%含まれている片栗粉は、何のためなんだろう?」と考える。そこで片栗粉に含まれるデンプンが、歯切れを良くする作用があるためだと気づいたら、今度は「なぜ片栗粉なんだろう?」と考えて、片栗粉を別の材料に置き換える実験をしてみる。
このように、要素を細分化して分析し、調べて結論を導くというプロセスは、ずっと繰り返してきました。そのおかげで、ここまで前進できてきたのかもしれません。
―― ストイックな中にも、どこかご自身の挑戦を楽しんでいるようで、すごく刺激を受けました!
ここまで来るのはたしかに大変な日々もありましたが、基本的には楽しんでこれました。仮に、三日徹夜しなければならない和菓子のオーダーがあったとしても、試行錯誤が楽しいから、いくらでも続けられる。
挑戦すること自体が、好きなのかも。「絶対に無理」と思っていた山に登るための準備をして、いつしか登れるようになると、安全で楽な状態が訪れる。すると、次の山を登りたくなってしまうんですよね。
「ここで限界」と思っていたのに、更なる限界に挑戦できるようになると、次の違う景色が見たくなる。まだまだ新しい景色を見るために、挑戦を続けていきたいです。
(編集、写真:かない、執筆:安井美貴子)