香港で「酒ブーム」に火を付ける、日本人の正体
温かい日本酒(燗酒)を作る、プロフェッショナルがいる…。さらにその人物は、香港に日本酒のレストランを出し、World Restaurant Awards 2019 のドリンク部門で、世界トップ5に選出されたと…。
そんな変な人ライターの血を騒がせる人物こそ、燗付け師の五嶋慎也さん。「日本酒を世界に広める」目標を掲げ邁進する五嶋さんに、オンラインでインタビューしました!日本酒の奥深き世界と、プロフェッショナルの仕事哲学、ご堪能ください。
“見つからない”お店?
ーー 燗付け師って、初めて聞きました。「日本酒を温めて燗酒を作るプロ」という説明で合ってますか?
そうですね。料理を想像してもらうと分かりやすいんだけど、たとえばお肉も強火で一気に火を入れるのと、弱火でコトコト煮るのとで、味が変わりますよね。
お燗も一緒で、火の入れ方や、温度、熟成の度合い、といった要素の違いで、味や香りが全然変わるんです。温めることを通して、日本酒の味をデザインする。かっこよく言うと、それが燗付け師の仕事ですね。
ーー そして今は、香港でレストラン「GODENYA」を経営しているんですよね。
はい。もともと東京でお店を経営していたのですが、僕がとにかくやりたいのは、世界に日本酒を広めること。なので海外進出の第一歩として、2015年に香港にお店を移転させたました。
ーー そして2019年には、World Restaurant Awards 2019のドリンク部門で、世界のトップ5に選ばれたと…!見知らぬ土地での開業なのに、すごいです。
まずは、簡単なお店の説明から。GODENYAは完全に予約制で、コースは1種類。和やフレンチ、広東料理をベースにした8皿の創作料理に、僕が選んだ日本酒をそれぞれペアリングして提供しています。
日本酒は必ず付いてくるので、僕のお店で飲まない選択肢はありません(笑)。日本酒ごとの提供温度も、メニューに書いてあります。
もう1つの特徴として、店の場所がものすごく分かりづらいんです。Google マップを使っても、なかなかたどり着けないんですよ。
ーー え!そんなに分かりづらくて、お客さんは来てくれるんでしょうか?
実は、そこがポイントなんですよ。
予約必須で、場所も見つからない、片言の英語しか話せない日本人が店主で、しかもコースは日本酒がセットの1種類。行ったら絶対人に話したくなるでしょう(笑)?ということで、口コミがすぐに広まりました。
開店当初は席の数も意図的に減らしていたこともあり、「開店から予約が取れない店」と評判を呼ぶことができました。もちろんそれだけでなく、味の自信もあるけれどね。
さらに、新しい文化に共感してもらうためには、お客さん側の感性や集中力を高める必要がある。たとえば京都の料亭でも、「真剣に向き合わなければ」と思わせる、荘厳な佇まいのお店ってあるよね。
日本酒という文化を受け入れられるよう、心のモードを切り替えてほしい。そんな意図もあり、来店ハードルはあえて高くしました。
ーー すごい戦略的。香港での手応えは、どうですか?
意外にやりやすい。日本だと、日本酒のイメージがある程度出来上がっているでしょう。「お冷で飲む」と決めている人もいるし、「熱燗は冬だけ」という人もいる。
でも香港人は、日本酒に対する固定概念はほぼゼロの状態。だからこそ、「この飲み方が一番美味しいですよ」とおすすめしたら、素直に受け入れてくれるんです。
イギリスの影響を受けていることもあって、香港は文化的にもすごく多国籍。新しいものを受け入れる度量がある国民性も、理由の一つかもしれません。
始まりは「怪しいおでん屋」
ーー 五嶋さんの日本酒への執着、すごいです。どんなきっかけで、その気持ちは芽生えたんでしょうか?
日本酒に出会ったのは、大学時代。ある日、家の近くにいかにも怪しげな居酒屋ができたんです。静岡県の池田というエリアに住んでいたんだけど、名前がそのまま「池田のおでん屋」。
ーー 怪しい!
気になって行ってみると、出汁がめちゃくちゃ美味しい。さらに大将は、お店を出す前、お会計が1万円を超えるような高級屋台を引いていた人で、これまた面白い。
大将に誘ってもらい、その店でアルバイトを始めることになりました。せっかく雇ってもらえたんだから自分にできることはないだろうか、と探し始めて。そこで「日本酒の仕入れならできるかもしれない」と、思い立ったんです。
そうと決まればまずは、酒屋さんに。若造が「日本酒を勉強させてください!」なんて言うもんだから、酒屋の店主の方が喜んで色々教えてくれて。
ーー 喜ぶ酒屋のおじさんが、目に浮かびました(笑)。
自分で仕入れた日本酒をお店で出してみると、最初はお客さんみんな、「甘すぎる」だの「雑味がある」だの文句を言うんだよね。でもだんだんと、日本酒を目当てに通ってくれる人も増えてきて。
初めて自分の力で人を喜ばせることができたなと思って、嬉しかった。
さらに勉強していくと、日本酒業界がかなり落ち込んでいることも知りました。「日本酒が好き」だけじゃなくて、「この業界をなんとかしたい」という使命感が生まれたのは、その頃かな。
ーー 大学生の頃からそんな使命感を…!
実は、卒論も日本酒のことを書きました。経営学部だったんだけど、統計学・物理学の先生のゼミに入り、日本酒の海外輸出の状況を研究することに。
その頃は海外での日本酒消費に関する資料なんて何もなかったから、「日本酒・海外」で検索すると、僕の論文がトップに出てきたんですよ(笑)。卒業後に教授からも「お前の論文だけアクセス数が異常に多い」とか、連絡が来たなあ。
日本酒で恋愛小説を表現?
ーー 卒業後も、日本酒一筋だったんですか?
いろんな仕事をしたけれど、「日本酒を世界に広める」目標は全くブレなかったですね。
卒業してしばらくは、おでん屋を手伝ったり、日本酒を使いながら商店街の復興に携わっていたりしたんだけど、結局東京に。
当時はmixiが流行っていた頃なんだけど、同じ趣味の人が集まるコミュニティ機能ってあったじゃない?その「日本酒コミュニティ」で人を呼びかけて、各地で日本酒イベントを開催していました。弟のツテで見つけたバーテンダーの職も、並行してやっていました。
でも日本酒コミュニティで呼びかけても、日本酒マニアしか集まらない(笑)。日本酒を知らない人に来てもらうにはどうしたら良いか考えて、日本酒とは全然関係のないコミュニティで、イベントを企画することを思いつきました。
分かりやすい例で言うと、チーズ好きコミュニティで、「チーズと日本酒のマリアージュを楽しむ会」とか。他にも、ライブハウスで行う「音楽と日本酒の会」とか、「恋愛ストーリーを日本酒の味で表現する会」とか、不思議な企画もやっていました。
さらに、日本酒をより深めるには食の勉強もしなければと考え、今度は築地市場で働き始めました。
ーー 五嶋さんがぶっ飛んでいるのか、論理的なのか、分からなくなってきました…。食なら飲食店で修行するイメージですが、なぜあえて築地なのですか?
飲食店では得られない知識を、得られると思ったんだよね。たとえば築地で働いて知ったのが、同じ魚でも産地によって顔も味も、全然違うこと。これは市場で毎日同じ魚に触れるからこそ分かる違いで、毎日違う魚を仕入れる飲食店では身につけられないはず。
築地は治外法権みたいなもので、職場環境は昭和そのもの。毎朝出勤は、午前1:30。そこから注文をさばき、魚を箱に詰め、4時に始まるセリが終わると、また魚が大量に入った重たいケースを何個も運び、仕分けの仕事。
しかもたまたま怖い先輩の下についちゃってね…。大変だったなあ…(苦笑)。
ーー 東京で店をやっていたとのことでしたが、いつ頃開業したんですか?
築地の仕事をやりながら、開業の準備を始めました。世界に出て行くならまず日本で店を持つことは必須なので、少し焦りながら同時進行で進めていた感じかな。
十分なお金はなかったから、土日のみ店を開けている友人に、月〜金まで店を貸してもらうことに。おでんのコースと日本酒をペアリングで提供するお店を始めました。
お店を終えたら、墨田区から自転車で40分かけて築地に行き、朝9時ごろに築地の仕事を終えて、仕入れをして、2、3時間仮眠してお店の仕込みをする日々。
ーー 想像しただけで辛い、眠い。そんな時期を経て、自分のお店を出したんですね。
はい。2013年、東京の曳舟に「ごでんや」をオープンしました。
オープン当初から、2年で海外に行くことは決めていました。その事情もあり、お店は古民家を改装する形をとって、費用を抑えました。料理はおでんから一転、フレンチに。「古民家×フレンチ×日本酒」ってコンセプト、なかなかユニークだったなと自負しています(笑)。
ご近所さんやあまり日本酒に馴染みのない方も来てくれて、当時もすごくやりがいがあった。そして宣言通り、2年後の2015年、香港に「GODENYA」をオープンさせました。
ーー 本当に宣言通りの人生を歩んでいて、すごい…。私は有言実行の人生をなかなか送れないのですが、なぜここまでブレずに行動できるのでしょう?
この道以外を考えられないから、ですかね。「自分のやりたいことは何だろうか…?」と悩んだことがないので、その点では楽だと感じています。僕がやることは、日本酒を世界に広めるために、目の前に現れる壁を一つひとつ越えていくだけですから。
目指すのは、千利休
ーー 世界へのこだわりをものすごく感じます。日本で日本酒を流行らせる道は、考えなかったんですか?
やっぱり海外進出には、すごく大きな意味がある。今日本酒に必要なのは、価値を高めることなんです。
価値は基本的には、値段で決まるよね。だけど特にお酒の世界って、値段と品質が必ずしも比例しているわけではないんです。
たとえば何百万円もするような、高級ワインってありますよね。もちろん最高品質のワインには違いないけれど、実はヨーロッパのマーケティング戦略という面もある。ワインを地域の産業にするために、戦略的に高い値段が付けられているということですね。
一方で日本酒は、数十万円のものは出てきているものの、まだまだ値段は安い。日本では原価を起点に定価をつける風潮があり、マーケティングの視点は弱い面があります。
だからこそ海外で流行させて、「海外で流行っている」というブランディングをする。そうすることで、日本国内も含めて日本酒の価値を上げていけると思っています。
さらに、僕自身も海外に出て、目立っていく必要性も感じているね。僕が評価を得られれば、日本酒の価値も付随して上がると思うので。
ーー 確かに日本酒は、すごく律儀な値段のものが多いですよね…。その上で、なぜ香港を選んだんですか?
前提として、グローバルに情報が集まり、世界とつながる拠点にできる場所が良かった。もちろんパリやニューヨークも考えたけれど、物理的に遠かったのが正直大きいんだよね(笑)。お店をオープンする前に、10回くらいは下見や準備で訪れる必要があるから、欧米はなかなか難しかった。
アジアに絞って考えてみると、食の中枢は香港だという情報を方々から聞いて。さらに下見に行くと、広東料理にワインを合わせている人を多く見かけたんです。
このワインリストを日本酒に変えられれば、大きなインパクトになると感じました。お燗は広東料理に合うしね!
ーー なるほど!香港で、日本酒の受け入れられ方は変わっていますか?
もちろん僕のお客さんは日本酒をすごく楽しんでくれるし、複数の広東料理屋さんで、日本酒の卸しも始めています。日本酒が受け入れられ始めている手応えは、確実に感じます。
でも、先は長いね。たとえば自分が賞を取って目立つことで、他の店が真似してくれるのを狙っていたんです。そうすれば自ずと、香港でも日本酒が身近になっていくから。でも、そこまで到達できていないのは悔しいです。
ーー 目標に向かって突き進む五嶋さんですが、これからの野望を教えてください!
やっぱり欧米には進出したい。新型コロナウイルスの影響で今は動けないけれど、この目標は変わらないです。
僕自身の目標としては、究極に目指しているのは千利休のような存在なんです。千利休は、「わび・さび」の美意識など、みんなが価値がないと思っていたものに価値を見出した人。そういった世界観、感性の持ち主が、政治まで動かしていたという事実って、本当にすごいことなんです。
僕も彼のような価値を見極める力を磨いていきたいし、世の中を動かしていきたい。その気持ちを曲げずに、日本酒が世界中で楽しまれている日を目指して、一歩ずつ精進したいと思います。
※注が付いている以外の写真は、五嶋さん提供。